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健康メモ
不平等な臨終
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不平等な臨終

東京医大八王子医療センター 老年病科部長 金谷 潔史

医師になって20年、思えば何人の臨終に立ち会ったであろうか。数えたこともないが、ひと月に4人としても千人位は看取っているであろう。

死は誰にもやってくる避けられないものであり、そういった意味では平等であるが、臨終の実態はかなり不平等といわざるを得ない。

未だに私は月数回、民間病院で当直のアルバイトをやっている。いい年をしてこれだけ病院に泊まるのはローンの返済の為であるが、論文を書いたり、学会発表の準備をしたりで、この時間は結構貴重であり、それほど厭ではない。当直する病院はもっぱら老人病院であり、外来急患は殆ど来ないことから所謂「寝当直」と呼ばれている。深夜呼ばれるのは患者急変時と死亡確認の時ぐらいである。亡くなっていく患者さんに当然主治医はいるが、夜間、休日の死亡確認はその患者と縁もゆかりもない当直医の役割である。わざわざ主治医がやってくることは100%ありえない。

当直室の電話が鳴り、看護師の淡々とした「呼吸がとまりました」という声を聞いて「あーあ、ついていないな・・・」という気分で病棟に出向く。モニターで心停止を確認してから、すでに呼んである家族の前で死亡時間を告げる。ほとんど書いていないカルテをみながら死亡診断書を書くのだが、直接死因がよくわからないことが多い。それでも書かなければ患者さん(ご遺体)を動かせないことから、とにかく書いてしまい、さっさと当直室に戻り睡眠の続きを行う。一連の作業は長くても30分もあればすべて完了する。

老人病院の場合、50人近い患者さんに対して夜勤看護婦は二人きりである。当然看きれないので、巡視の際に死亡していたという、一人でひっそり旅立つケースもそう稀ではない。すぐに家族を呼ぶが、朝まで来ないことも多く、すぐに駆けつけてきた場合も苦情を言われることはまずない。月20万近い負担から解放されるためか、哀しみの奥に安堵の表情がのぞくこともある。これも一つの臨終である。

一方、私が普段働いている大学病院での臨終の場合はかなり異なる。

危篤や急変になるとまず主治医が呼ばれる。そのため深夜に車を飛ばすなどは日常茶飯事である。病院に着いたら家族への説明を行い、患者は臨終に備えて個室へ移され、そこで家族は待機する。そして主治医、家族、看護師に見守られながら厳かな臨終を迎える。これで終わりではなく、葬儀屋さんが来るまで1〜2時間待ち、全員が霊安室でご遺体に献花を行い、最後にお見送りまでする。主治医であるから不覚にも感極まることも時にはある。これが大学病院での臨終である。同じ様な病気で亡くなるのに一体この待遇の違いはなんであろうか。両方の病院で臨終に立ち会う者としていつも感ずる複雑な疑問である。国の医療費抑制の戦略から、大学病院や公的病院での長期入院は困難となり、多くの老人は次の、さらにその次の民間病院で臨終を迎えることになる。しかし、医療や看護がどんどん粗末になっていく実態は意外と知られていない。死への旅立ちは一人きりであるが、旅立つ直前の意識のあるうちはせめて尊厳をもって扱われたい。ではどうすれば尊厳ある臨終を迎えられるのか。まず、入院ギリギリまで元気でいること。そして入院したら、家族や医療関係者のテンションが高い三週間以内に旅立つようにすること。なかなか意識してできることでもないが、それが大病院で尊厳的に臨終を迎える秘訣である。

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